100年のあゆみ

100年のあゆみ

1918~1934年

わが社の出来事 社外の出来事
大正7年(1918)
10月
長谷川仁三郎、長谷川製作所を設立
設立場所:東京市芝白金三光町(現在 港区白金)
工  場:1.5坪
業  種:化学試験器用板金、医療機器部品、板金加工
大正8年(1919)
4月
弟 長谷川磯松が奉公を終え共に働くことになる。
 
 
11月
第一次世界大戦終結
大正12年(1923)
9月
関東大震災のため工場被災。(工場被害は軽微であった)
9月
関東大震災(M8.1)発生
大正14年(1925)
 
 
4月
工場を4.5坪に拡張。(見習工2名採用)
3月
NHKラジオ放送開始
昭和2年(1927)  
3月
昭和金融恐慌
昭和3年(1928)
4月
世の中不況の中ではあるが、幸い受注が多く工場が手狭になったため、東京市目黒区上目黒に新工場を建築し移転する。(従業員総数7名)
9月
銅板から筒状(coppertube)に絞り出すことに成功する。
この技術が当時の東京電気(株)に高く評価される。
その後ラジオ放送の大出力化に伴い、わが社の銅筒の開発をもとに東京電気(株)は、大型水冷三極管を製造し送信管の発展に寄与する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11月
東京電気(株)
大型水冷三極管を製作
昭和4年(1929)  
10月
世界恐慌はじまる
昭和7年(1932)
4月
満州事変(1931年)の勃発を契機に、軍需工業が促進されて産業界もようやく活況を呈してきた。わが社においても得意先から生産拡大の要求が日を追って強くなる。
 
昭和8年(1933)  
3月
国際連盟脱退
昭和9年(1934)
1月
わが社の固有技術である送信管部品、銅筒(coppertube)、その他銅製品の深絞り技術を「国家に奉仕する」という思いから、東京電気(株)の子会社となることを決意。
7月
昭和9年7月25日
長谷川製作所と東京電気株式会社(現在の株式会社東芝)は、新しく株式会社長谷川製作所を設立。東京電気株式会社の子会社となる。

会社名 :株式会社長谷川製作所
会社規模:資本金 50,000円 東京電気(株)全額出資
代表者 :長谷川仁三郎
設立場所:旧長谷川製作所(東京市目黒区上目黒)
事業目的:電気・化学工業機械器具の製作販売・一般金属の加工
人  員:役員6名 従業員15名 計21名
 

1935~1945年

わが社の出来事 社外の出来事
昭和10年(1935)
1月
東京電気(株)の送受信管と無線機器類の軍需用が急激に増加、その生産計画を達成するため、新工場を建設し、設備の増強と人員の補充を行う。
新工場:東京市大森区新井宿(借地)
従業員:総員36名
10月
わが社は通信機部門の仕事が主力であった関係で、東京電気無線(株)の指示に従って軍需品の生産協力工場となる。
11月
親会社の依頼により無線送受信機筐体の試作を開始し、順次量産に移行し、真空管陽極(anode)の製作と併せて業績も上昇した。
 
昭和12年(1937)
6月
資本金 5万円を10万円に倍額増資。
 
昭和13年(1938)
1月
日華事変から中国と全面戦争となる。
ますます軍備の拡張が急がれ軍需産業を担う業界は急激な発展を遂げる。
わが社の得意先、東京電気無線(株)は無線機と送信管部品の軍需景気で大きく伸び、わが社も売上高で対前年度約25%増となった。
 
昭和14年(1939)
7月
得意先の合併によりわが社は、東京芝浦電気(株)の子会社になる。
 
 
8月
テレビ受像機初めて一般公開
9月
第二次世界大戦開戦
昭和15年(1940)
2月
資本金10万円を18万円に増資。
8月
日華事変の戦線拡大にともなって、軍関係および生産対応設備需要が急増し長期的視野に立ち積極的に事業計画を進めることとし、新工場を建設する。
場  所:東京市蒲田区本蒲田二丁目
土  地:3,420平方米
従業員 :500名
設備の大幅な拡充と作業能率の改善施策を進める。 
 
昭和17年(1942)
6月
代表取締役2名選出
代表取締役専務 長谷川 仁三郎
代表取締役常務 長谷川 磯松
 
昭和19年(1944)
1月
東京芝浦電気(株)と同時に軍需会社法の指定工場となる。
 
昭和20年(1945)
4月
京浜地区大空襲により、事務所・工場ともに全焼する。
会社の長和寮(蒲田区女塚)は戦火を免れる。
8月
終戦。焼け残った社員寮(長和寮、蒲田区女塚)の一部分を改造し、生産再開準備をする。
 
 
10月
操業再開、最初の注文は占領軍の要請による大電力用真空管銅筒を生産する。
 
 
 
8月
広島・長崎に原爆投下
9月
第二次世界大戦終結

1946~1958年

わが社の出来事 社外の出来事
昭和21年(1946)
3月
GHQから東京芝浦電気(株)と同時に制限会社の指定を受ける。
 
 
11月
日本国憲法公布
昭和22年(1947)
1月
代表取締役社長 長谷川 磯松 就任
3月
東京芝浦電気(株)は保有株式を「持株会社整理委員会」に譲渡する。
4月
終戦後の混乱の中、操業再開2年目を迎え、一層の生産能率向上を図るため、経営者から一般従業員まで一丸とする『生産協議会』を発足させる。
7月
原材料の不足。特に電力不足は連日停電を余儀なくされ、その分深夜作業を強いられる。
11月
「持株会社整理委員会」から株式の譲渡を受け、独立会社となる。
1月
学校給食はじまる
昭和23年(1948)
 
 
10月
資本金 70万円とする。
11月
終戦から3年を経過するも、世の物価高に加えて原材料の不足等で経営は困難を極めた。
4月
サマータイム実施
昭和24年(1949)
7月
産業界では人員整理・工場閉鎖が相次ぎ、官公労関係でも行政整理が行われ、反対闘争が激しくなった。
わが社も親会社の整理問題に端を発し、若干の整理を行う。
昭和25年(1950)
3月
日本放送協会より初めて直接を受注する。
 
 
6月
朝鮮戦争勃発
昭和26年(1951)
9月
電気通信省より受注。各都市に民間放送局が開局し
通信網が益々完備。わが社の製品もその必要度が増加する。
9月
サンフランシスコ講和会議
平和条約締結
昭和27年(1952)
3月
日本電気・日立製作所など大手からも受注を受け、わが社の製品が無線通信機業界の注目を得るに至る。
昭和28年(1953)
9月
石油コンロの生産を立ち上げる。一時、臨時女子従業員30余名増員。
しかし原油輸入減少に伴い翌年早期に生産中止。
昭和29年(1954)
3月
資本金 210万円に増資。
昭和31年(1956)
8月
旧蒲田工場跡地に新工場を建設し本店登記変更する。
場 所:東京都大田区本蒲田 2-18
従業員:68名
9月
代表取締役社長 関根 藤吉 就任
昭和32年(1957)
4月
昭和32年度より新卒者を定期的に採用することに決定。
初年度7名採用。
昭和33年(1958)
1月
経営方針の一環として新しく生産協議会の開催を組織運営して経営のより一層の効率化を図ることになる。
【生産協議会組織目的】
株式会社長谷川製作所は、その経営目的を達成するために全員の総力を結集して運営される
 
 
 
 
7月
資本金 840万円とする。
12月
生産力増強のため筐体工場増築。
 
 
 
 
 
 
 
 
4月
東京芝浦電気(株)
トランジスタ工場竣工

1959~1967年

わが社の出来事 社外の出来事
昭和34年(1959)
4月
板金加工用、アルミスポット溶接機を導入する。
7月
送信管部品の受注急増に対処するため、機械部門の設備増強。
8月
資本金 1,000万円とする。
11月
東京芝浦電気(株)トランジスタ工場よりトランジスタ部品の受注開始。
EP工場を新設して、シェルを生産する。
12月
従業員数172名となる。
4月
皇太子殿下ご成婚
昭和35年(1960)
9月
NHKカラーTV放送開始
昭和36年(1961)
11月
生産体制充実のため機械工場増改築。
昭和37年(1962)
2月
ミニダイオード用ガラスチューブの切断加工受注、
ガラスカッティング工場新設。
女塚工場を改築し独身寮を新設。(長和寮)
3月
東京芝浦電気(株)トランジスタ工場よりシリコン整流器スタックを受注し量産。
4月
品種変更によりシェル生産を中止し、ゲルマニウムダイオード用部品の生産開始。
5月
資本金 2,000万円とする。電子部品工場完成。(3階建)
昭和38年(1963)
6月
黒部川第四発電所完成
昭和39年(1964)
9月
ゲルマニウムダイオード(1N60)の製造を東京芝浦電気(株)より移管。
 
 
 
 
12月
ゲルマニウムダイオード 月産100万個
 
 
10月
東海道新幹線営業開始
東京オリンピック開催
(第18回夏季)
昭和40年(1965)
2月
(株)長谷川製作所基本三原則制定
(株)長谷川製作所は
1.人間社会の福祉のために存在する
2.働く人全員の生活を維持向上させると共に社会人として、
  産業人として立派に成長するために経営される
3.働く人全員の総意を結集して運営される
昭和41年(1966)
12月
電子部品(ダイオード)の増産に対処するため、
福島県本宮町に福島工場を新設する。
女塚長和寮落成。
昭和42年(1967)
6月
資本金 4,000万円とする。長谷川製作所労働組合結成。
8月
カラーブラウン管部品(電子銃)を製作開始。

1969~1984年

わが社の出来事 社外の出来事
昭和44年(1969)
1月
資本金 5,000万円とする。
9月
東京中小企業投資育成(株)の投資を受け資本金1億円とする。
7月
アポロ11号月面に着陸
昭和45年(1970)
 
 
4月
機械、筐体工場の補強合理化をはかるため、横浜市港北区に新工場を建設、操業開始。
12月
東京芝浦電気(株)・協和銀行・第一生命・千代田生命の出資を受け、資本金2億円とする。
3月
日本万国博覧会(大阪万博)開催
昭和47年(1972)
 
 
8月
小型整流素子(SCR)の製造開始。
10月
PCダイオード生産累計5億個達成。
東京芝浦電気(株)電子事業部より感謝状を受ける。
12月
横浜工場第二期工事完了。(3階建)
資本金 2億5,000万円とする。
5月
沖縄日本復帰 沖縄県となる
昭和49年(1974)
4月
コピア(株)と資本提携をし電子式複写機の生産開始。
大分長谷川エレクトロニクス(株)を設立。
東京芝浦電気(株)よりIC組立工程を移管。
 
昭和50年(1975)
3月
長引く不況対策として希望退職実施。(191名)
 
昭和51年(1976)
8月
本社・東京工場を操業環境不適のため横浜工場に移転する。
 
昭和55年(1980)
4月
産業用電源機器(スタック)の設計製造開始。
回転式磁気治療器(UMO)をベンチャー企業と共同開発し医療用具の認定を取得、東邦薬品と販売を開始する。
 
昭和56年(1981)
3月
コピア(株)が他社と合併の為、複写機の生産中止。
 
昭和57年(1982)
5月
生産拠点再配置のため福島工場を閉鎖し、電子部品を横浜工場に集結。
6月
代表取締役社長 鈴本 寿治 就任
複写機の技術を生かしレーザープリンタの製造契約を富士通(株)と結ぶ。
 
 
6月
東北新幹線開業
昭和58年(1983)
 
 
10月
半導体関連金型装置等の精密加工のため、機械工場の設備を大幅増強。
4月
東京ディズニーランド開園
昭和59年(1984)
7月
富士通(株)とOAボード(電子黒板)を開発し生産
 

1988~2002年

わが社の出来事 社外の出来事
昭和63年(1988)
 
 
7月
事務棟(3号棟)3階建を建設。
3月
青函トンネル開通
平成元年(1989)
 
 
4月
精密機械部門の合理化と生産力拡大のため、旧機械・筐体工場跡に新工場(1号棟)2階建を建設する。(3,300㎡)
創立55周年を迎え、社名を株式会社『ハセテック』に変更する。
1月
昭和天皇崩御
4月
消費税実施 3%
 
 
10月
ベルリンの壁が崩壊
平成3年(1991)
 
 
10月
電力素子製造開始。
3月
バブル経済の崩壊
平成4年(1992)
6月
代表取締役社長 仲田 淳二 就任
10月
東京中小企業投資育成(株)より株式を引き受け、商工組合中央金庫の出資を受ける。
 
平成6年(1994)
2月
機械加工部門の強化策のひとつとして(株)ハセテック精密を設立。
(資本金 1,000万円 全額ハセテック出資)
6月
代表取締役社長 寺田 欽一 就任
平成7年(1995)
 
 
 
 
4月
産業用電源のハセテックブランドによる直販化実施。(従来は(株)東芝への転売品扱い)
1月
阪神淡路大震災(M7.3)発生
3月
地下鉄サリン事件発生
平成9年(1997)
4月
FA関連機器製造開始。
(光造形装置、基板検査装置、画像処理機器等)
4月
消費税 5%
 
 
12月
東京湾アクアライン開通
平成10年(1998)
2月
長野オリンピック開催(第18回冬季)
平成11年(1999)
10月
半導体製造装置および関連機器、液晶関連装置等の組立開始。
平成12年(2000)
3月
市場の変化に対応するため、モールド金型、成形金型の製作から精密機械装置部門への転換をめざし設備の更新を行う。
平成14年(2002)
6月
代表取締役社長 千村 正 就任
6月
FIFA日韓ワールドカップ開催

2004~2019年

わが社の出来事 社外の出来事
平成16年(2004)
7月
品質マネジメントシステムISO9001認証取得。
平成17年(2005)
11月
電気自動車用急速充電器について東京電力(株)と共同研究開始。
平成20年(2008)
9月
神奈川工業開発大賞受賞。
電気自動車用急速充電器が第25回神奈川工業開発大賞
「地域環境技術賞」を受賞。
11月
松沢成文 神奈川県知事来訪。
「ウイークリー知事現場訪問」として神奈川県の松沢知事が訪れる。
9月
リーマンショック
平成21年(2009)
1月
神奈川県・横浜市・川崎市三首長地球温暖化防止表彰を受賞。
3月
電気自動車用急速充電器の販売開始。
平成23年(2011)
6月
代表取締役社長 家坂 進 就任
3月
東日本大震災(M9.0)発生
福島第一原子力発電所事故
平成24年(2012)
5月
東京スカイツリー本放送開始
平成25年(2013)
3月
環境マネジメントシステムISO14001認証取得。
5月
環境省地球温暖化対策技術開発・実証研究事業において、EVバス用超急速充電器(160kW)を製作し提供。
平成26年(2014)
5月
NEDO「国際エネルギー消費効率等技術・システム実証事業」に応募し「10分間充電運行による大型バス実証事業(マレーシア)」を受諾。
4月
消費税 8%
平成27年(2015)
6月
AWSD17.2(航空宇宙用スポット溶接)の認定を取得。
平成28年(2016)
 
 
 
 
6月
NEDO2階建てEVバスシステム実証事業を世界に先駆け受託。
9月
AWSD17.1(航空宇宙用溶融溶接作業者の技量認定基準)の認定を取得。
4月
熊本地震(M7.3)発生
5月
オバマ大統領 広島訪問
平成29年(2017)
6月
代表取締役社長 藤原 隆 就任
平成30年(2018)
3月
永年に亘る、防衛・航空宇宙向へのアルミニウム溶接特殊技術を防衛省に認められ、南関東防衛局長より感謝状をいただく。
平成31年(2019)
4月
関電トンネルEVバス運行開始。
EVバス用超急速充電器を製作し提供。
令和元年(2019)
7月
株式会社ハセテックは創業100周年を迎えた。
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